わが協会は、昭和36年6月に創設され、昭和41年2月24日に社団法人現代工芸美術家協会となり、平成25年2月1日に一般社団法人現代工芸美術家協会へ移行した。
歴代の協会役員等の指導力、会員の協力により、各方面に着実な実績を重ね、わが国工芸界はもとより国際的な場でも確たる評価を得ることとなった。
わが協会の会員は、北海道から沖縄に至るまで分布し、全国15ブロックにわたる支部組織としての地方会を擁し、本部と地方会が緊密な相互関係を保ちながら様々な活動を展開している。
わが協会の創立期を振り返るとき、新しい工芸の運動体としての活動を改めて想起したい。1960年代の初頭、現代美術のあらゆる分野における新しい運動は国際的な規模で胎動し、わが国の工芸分野においても既成の工芸に対する批判が昂ぶっていた。その気運をいち早く捉え、先導的役割を果たしたのがわが協会であった。
協会が標傍した「主張」を抜粋すれば「現代の工芸という言葉は、自ら過去の工芸という言葉と対照される。過去の工芸とは我々の時代から既に遠のいた歴史的反省の存在価値しかないものを指す。之に反撥を感じ批判を加えると同時に、現代を吸収し消化し生きた生命を感じつつ制作した作家の所産を現代工芸と名づく。
由来「工芸」というものは用と美の抱き合ったものだという観念が色々の解釈を投げかける。機能を主としつつも美的な処理を行うインダストリー・デザィン、合理性と経済的思想から生活過程に随伴することを本義として自ら量産を予期する生活工芸、或いはこれと同巧異曲である様相を呈しつつも製造手段を手製であるべきことを主張するクラフト等々に、外国の直訳的工芸批評家を加えて正に世は紛々たる状態である。
然し工芸の本義は作家の美的イリュウジョンを基幹として所謂工芸素材を駆使し、その造型効果に依る独特の美の表現をなすもので、その制作形式の立体的たると平面的たるとをとわず工芸美を追求することにある」と記されている。
この「主張」を旗印として、わが国における新しい工芸分野の開拓を目指したわが協会も、今日、一応所期の目的を達成し、今後それをどのように展開していくか重要な岐路に立たされているのではないだろうか。「主張」は更に「現代の工芸は現代の新しい解釈を要求する」と記されている。即ち、一つの理念が永年の経過と共に、今日、問い直される時機にきている。ことに、会の組織が大型化すればするほど、構成メンバーの各層の思考の格差は覆うべくもない。しかも、現代美術全般にわたる国際的な潮流の中にあっては、わが協会の「主張」も時代に即応した解釈を必要としている。
毎春、東京都美術館にて開催されている日本現代工芸美術展(本展)は50回を超え、自由な発想のもとに、様々な素材を駆使した独自性のある作品群は、従来的な工芸志向のものからアート志向のものまで、極めて変化に富んでいる。共通した基幹は創作ということになろうが、いずれにしても量より質が強調されなければなるまい。
本展終了後、本展より選抜される基本作品(理事以上の作品と審査員及び授賞作品)約80点と開催地在住の作家の作品が陳列される巡回展は、国内7〜8ケ所で実施され地方の多くの観客が待望する展覧会として定着してきた。ことに、巡回展に見られる特微は、地方独自のアイディアにより本展にはない脚色が工夫されていることにある。
協会が今後とも現代工芸運動を活発に全国各地に展開するためには、地方会組織の一層の強化を図らなければならないだろう。
今日、地方会は自主独立路線を堅持しながら、地域社会への働きかけを様々な活動を通じて展開し、地方の関係官庁、美術館、デパート、更に新聞社、テレビ局の後援により現代工芸の普及につとめ信頼を得るに至っている。即ち、国内巡回展、地方会主催の企画展、講演会、座談会、研修旅行、作品研究会など地方会活動に非常な努力が払われている。
なお、今日、全国15ブロックにわたる地域区分は次のとおりである。
協会の広報活動としては、展覧会図録、機関誌としての『 現代工芸ニュース』(いずれも年1回の発行)、また、必要に応じ「 現代工芸ニュース速報」の発行を続けている。
本展図録も、第28回展までは豪華本の体裁をとってきたが、第29回展より軽便型の薄表紙(A4変型)の装丁に改訂した。
現代工芸美術家協会の前途は、実に洋々たるものがある。協会役員等、先輩諸氏が中心となり築かれた半世紀を超える実績を踏まえて、将来に向かって現代工芸運動を対外的に積極果敢に展開しなければならないだろう。
例えば、地方会組織の拡充を図り、現代工芸作家集団の基盤を全国的に強靱なものにし、我々の提唱する工芸理念の更なる徹底を作品発表などを通じ社会に深く浸透させる努力が望まれよう。